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平成7年1月17日未明に発生した淡路島を震源地とした阪神大震災は、一瞬にして兵庫県が誇っていた美しい町並みや大切な伝統文化や建物等ほとんど崩壊させてしまいました。
全国でも有数な地場産業である難五郷の清酒産業でも甚大な被害を受けてしまいました。
清酒主産地の伊丹、西宮から西に東難区、難区と拡大し、早朝の酒造りの作業の中で杜氏、蔵人たちの犠牲者も出てしまった。
私共は、テレビや日刊紙で報道された悲惨な状況を見て驚き、急きょ知人や関係団体の人達に電話を入れたが、数日間は混乱の中でその安否さえ確認できない状況が続きました。25日に無事を確認するのが精一杯でした。
実際に現地に足を運んだ人達や無事だった現地の人達の話では、その悲惨さは目を覆わんばかりだと言う。
2月1日に酒蔵組合中央会へ問い合わせたところによると、蔵人の死亡5名、他の従業員3名が亡くなられ、ケガ人は21名、行方不明4名、災害で居所を失って郷里へ帰られた等、実際の掌握は困難との事でした。今は無事である事を祈るだけです。
日本最大級の清酒産地、難五郷。同地区に集まるメーカーは約55社。どの酒蔵も工場が崩壊、もしくは破損してしまった。
製造や商品提供はストップし、被害は深刻てある。江戸時代以来老舗を誇り、日本の伝統文化を支えてきた難の崩壊は信じられないほどです。
冷たく強い六甲おろし、1月は新酒の仕込みの最盛期、朝から煙が立ち、新酒の匂いが漂うはずなのに、瓦礫の山が酒蔵通りを埋め尽くしてしまいました。
三百年の伝統を誇る難の名称が初めて使われたのは、西暦1716年頃「日本酒の酒」に「酒蔵のある町・難」と言う随筆の中から拾い出して紹介しましょう。
難とは、神戸市の難区から西宮氏にかけての沿岸地域を言い、西は生田河から東は武庫川にいたる地域と思えばよいそうです。昔はこの地域を難目と言った。
難に酒造りが興隆した原因は酒質の醇美と回船に便利な立地によるものとし、酒質醇美の理由には見やすい、摂海の湿気、六甲の寒風、丹波杜氏の技量、吉野杉の香り、摂津の米等があげられましょう。
特に宮水は難酒の名声を飛躍的に高める礎になりました。宮水は西宮氏の海岸から約1kmくらい離れたところ、東西500m、南北1kmにわたる小地域の地下5〜6mの地下水に涌く伏流水である。
地下の貝殻層を通りカルシウムを溶かし硬水となる。宮水は構造に有効なカルシウム、リン、クロールが多く、鉄分が少なく酒造りに適することが知れわたっており有名です。
今回の震災では多くの犠牲者を出し、また酒蔵記念館など重要民族文化財等の伝統の文化遺産も尊い命と共に多くの財産が失われました。自然災害からの回復は、復旧ではなく復興だといわれます。
難の現地の人たちは「酒の命である宮水は生きている」と各蔵元を心強くさせおり、また「1日も早く生産を再開するため、復興への努力を優先します」と力強く言い切っております。
難五郷酒蔵組合の人達は「千人の方は何度も天災を乗り越えてきたのです。苦しいけれど負けられません。絶対、難の酒文化は守らなければなりません。」と話してくれました。
私共は、この心意気に全面支援体制で臨み、1日も早い復興を願って心から祈っております。
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