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今回は日本の酒造りの歩み、またその人達についての経緯や移り変り等をお話してみたいと思います。
11月に入るとほとんどの酒蔵では酒造りの酒屋者達が入蔵して参ります。新潟の場合、昨年は稲の不作で原料米の不足から減産のやむなきにあたり、清酒の在庫も少なく、今年は皆さん早めに蔵入りをし、造りに入ったところでしょう。
昨年11月から今年3、4月頃までに製造したお酒が、今頃から一番美味しくなる時期ですね。この時期に毎年行われる国税局の秋の鑑評会があり、今日11月9日は丁度鑑評会の一般公開と表彰式の日です。
表彰式に金賞として入賞した喜びの杜氏さん、惜しくも選にもれた残念無念の杜氏さん、それぞれ明暗が分かれますが、皆さん一同に出席して一般公開のお酒を真剣にきき酒をします。香り、味、引込み、香味のバランス及びその欠点、長所等、真剣そのものの顔です。
そして甲乙はともかく、今年の造りに備えます。常に初心に返って明日への挑戦に備える、杜氏の職人魂が力強く感じられます。常に品質を追求して止まない信念と、酒造りへのロマンは杜氏の魅力かもしれません。
さて、昔から酒は寒造りと申しまして、寒い季節に造るのが品質的にも非常に良い酒が出来るとされておりますが、昔、幕府が新酒醸造を禁じた御触書(現在の醸造規制)がございます。
これは早秋に仕込む酒より、寒い季節に仕込む方が雑菌による汚染もなく品質の良い市場性の高い酒が出来易かったので、品質向上という政治的意図も考えられました。
また、寒造りは農閑期だけに水田地帯の農民にとっても、冬の間漁獲量が思わしくない漁民にとっても、造り酒屋への出稼ぎ奉公はまったく好都合の時期でもあったのです。
穀寄せ奉公と言って、近世の農民は地位身分が固定され、土地に束縛されており寛永19年のお触書には「百姓食物の儀雑穀を用い、米多く食べざる様申渡可事」とある様に、米作地帯の百姓と言っても食生活の一切のが規制されていて、その上年貢、小物成りなどの増税で田畑の収益ではとても一家の生計は成り立たなかった訳です。
従って、農閑期を利用して出来る酒屋の仕事は、寒い、眠い、つらい。(これを「三むい」と言います。)そんな仕事でも願ってもない穀寄せ奉公だったのです。
また、酒造りには蔵人の組織と言うのがあって、職階制が厳しく、働き者達は少しでも技能を会得し、役職につく様人目を忍んでは手法や技法を身につけた。腕の良い職人は階級も上がり、賃金も余計だった。 職階の礼儀も厳しく、私などは良く親方の下着等の洗濯をした事を今でも思い出します。
また、威勢のよい唄を歌うので、歌の上手なわかものは常に重宝がられ、唄半給金(唄が満足に歌えなければ給金は半分しかもらえないという意味、 逆に言えば唄さえ一人前に歌えれば給料の半分はやっても良いということ)といわれた。
やがて彼らの中から技能の育成に心掛けた者達が、近世的杜氏への誕生と進展していったのです。
「酒造り唄について♪ 」
酒造りの作業は重労働が多い。円滑に作業ができるようにと唄をうたう。
唄の上手、下手で年季がわかるとまでいわれる。
この唄が作業時間の測定にも利用された(桶洗い唄、米洗い唄、もとすり唄、等)これらの唄も合理化、近代化の中で 忘れられ、うたわれなくなっている。
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