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近世以降の酒造りは、酒屋の主人や家族の手ではなく、酒造りの時期の晩秋に杜氏に率いられてやってくる。
出稼人、いわゆる「酒男」「蔵人」又は、地元やむらで呼ぶ「酒やもん」と呼ばれる出稼人の手で造られてきた。
冬期出稼ぎによる酒造りは比較的に新しく、元禄以降1,688年伊丹で寒造りを開始した頃に始まり、更に下って文化文政期から1,804〜1,829年嘉永にかけて定着し全盛期を迎えました。
前にも述べました通り、夏場に農耕、冬場は仕事を失う雪国の農漁民達は、酒屋の寒造り需要と利害が一致し、互いに求め合い両者程良い互恵関係にあったので、年を追って酒男の供給地は灘の地元から摂津、播磨、丹後へと変わり寒造り冬期出稼ぎの関係が続きます。
越後の酒男の起源や成り立ちは詳しくはわかりませんが、北陸や新潟の酒造家の事柄によりますと最初は元禄年間、優れた技術を身につけた西国杜氏を招き、寒造り醸造に励んだとされております。
推察するに、越後のみならず関東や東国における初期の酒造技術はこれら西国杜氏によって伝授されたものと思われます。
地元の酒男達はそれを受け継ぎ地元の国土に適合した関東流、越後流と称される醸造法を考案して、やがて西国杜氏に代わってその地位を高めていったものと考えられます。
私も三もん下の働きだった頃、栃木県で丹波のおやっつさん(親方さん)につかわれた事があり、丈夫な紺色の長い半纏をきて蔵の中を見わまっていた親方さんの姿を思い出します。
蔵人には組織というものがありまして、酒造りの総括責任者である杜氏を蔵内では「おやっつさん、おやじ、親方」とも呼びます。
杜氏は醸造主、即ち社長から一切を委嘱されて蔵人集めの人事権を持ち、火元責任は勿論、若い衆の病気、けが、その他すべての面倒をみ、技術的な事も主人は一切関与せず、昔は請負制も多かったのです。
近年、酒造工全部を杜氏と言う事もありますが、本当は総括責任者のみを言います。杜氏の下に頭役(かしらやく)と申し、杜氏の補佐役で世話焼きとして仕事の割振り等を致します。
麹を造る麹師、酒のイ−スト造り、酒母を造る人をもとまわり、米を蒸す一切の仕事を管理する人を釜屋、酒を搾る槽(ふね)の責任者を船頭等々、上人、中人下人と言われる働く人が居りました。その他、飯炊き学校を出たばかりの年少者に炊事や居間の掃除、使い走り等をやらせます。
この組織は、江戸時代の農村における名主(庄屋)、組頭、百姓三役、それに本百姓水呑百姓等、郷、村制をそのまま移行した点は極めて興味深いものがあります。
今でも村落に入りますと、その名残が残っております。杜氏制度は昔の軍隊同様、厳しい階級制度と作業の分担が長い歴史の間に確立されたのだと思います。
今もこの制度の名残りは変遷しながらも依然として残っております。作業の分担と責任の明確、微生物相手の酒造りではこのように統制をとって蔵人が一心同体になって専念してこそ、良い酒造りにつながって来たものと思います。
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